ウィーン・フィルとN響の100年 ── 定期公演の曲目と指揮者は、どう変わってきたのか
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(以下、ウィーン・フィル)とNHK交響楽団(以下、N響)が公開している演奏記録をもとに、筆者が、定期公演でどの作曲家の曲が演奏されてきたか、誰が指揮台に立ってきたかを10年ごとに調べました。比較のために東京都交響楽団(以下、都響)の記録も加えています。ウィーン・フィルの記録は1842年からありますが、比べているのは、N響の前身の新交響楽団が演奏会を始めた1926年からのおよそ100年です。
N響でこれまで最も多く演奏された作曲家はベートーヴェンで、1926年から2026年6月までの全公演で演奏された曲の12.4%(3,795曲)を占めます。曲ごとに見ると、最も多いのはベートーヴェンの交響曲第9番で459回でした。定期公演どうしで両楽団の曲目を比べると、よく演奏する作曲家の顔ぶれと割合の似方は1920〜60年代には0.2〜0.4台の順位相関でしたが、1970年代から0.6台に上がり、その後は動いていません。N響の指揮台に外国人が立った割合は、2000年代の81.9%が最も高くなっています。
この記事は、楽団の良し悪しや演奏の質を論じるものではありません。公開された記録から確かめられることを、確かめられる範囲で書いたものです。
調べたもの
ウィーン・フィルは、ウィーン・フィルの公式の演奏記録アーカイブに載っている1842年3月28日から2026年9月29日までの10,768公演と、そこで演奏された曲35,315件を使いました。N響は、N響の「演奏記録アーカイブ」に載っている1926年10月22日から2026年6月28日までの曲30,576件です(アーカイブの公開のお知らせはN響のサイトにあります)。都響は、都響の公式の演奏会アーカイブにある1965年10月1日から2026年9月17日までの2,340公演です。
曲は「1つの公演で演奏された1曲」を1件としています。同じプログラムを2日続けて演奏した場合は2件です。作曲家の名前は、ウィーン・フィルのドイツ語表記とN響の英語表記の綴りの違い(Tschaikowsky と Tchaikovsky など)を寄せたうえで比べました。都響は日本語表記しかないため、N響の日本語と英語の対訳を使って寄せています。都響の定期公演の曲のうち、寄せられなかったのは99曲でした。
比べたのは定期公演だけです。全公演で比べると、ウィーン・フィルはニューイヤーコンサートなどで演奏されるシュトラウス一家のワルツやポルカが多く、ヨハン・シュトラウス2世だけで全公演の曲の11.2%を占めます。N響も全公演には名曲を集めた公演や地方公演が多く含まれ、チャイコフスキーの割合が定期公演より高く出ます。楽団が自分で曲目を組む度合いが最も高いのは定期公演だと考え、そこにそろえました。
定期公演の範囲は次のとおりです。ウィーン・フィルは公演名が「Subscription Concert」のものと、1842〜59年の「Philharmonic Concert」、N響は「第◯回 定期公演」「◯年◯月定期公演」「日響定期大演奏会」(プロムナードを除く)、都響はシリーズ名が「定期」で始まり中止になっていない公演です。この範囲で、ウィーン・フィルは7,179曲、N響は11,957曲、都響は2,651曲になりました。
似ている度合いは、年代ごとに、2つの楽団のどちらかでよく演奏された作曲家40人を選び、その40人の割合の順位がどれだけ一致するかを、スピアマンの順位相関で表しました。1なら割合の並びが同じ、0なら関係がないことを示します。
定期公演の曲目は、1970年代から似てきた

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出典:ウィーン・フィル、NHK交響楽団、東京都交響楽団の公式の演奏記録をもとに筆者集計
| 年代 | ウィーン・フィル定期の曲数 | N響定期の曲数 | 順位相関 | 上位10人の重なり |
|---|---|---|---|---|
| 1920年代 | 546 | 229 | 0.24 | 6人 |
| 1930年代 | 524 | 587 | 0.44 | 7人 |
| 1940年代 | 536 | 634 | 0.27 | 6人 |
| 1950年代 | 477 | 790 | 0.29 | 6人 |
| 1960年代 | 466 | 971 | 0.24 | 4人 |
| 1970年代 | 476 | 1,610 | 0.66 | 5人 |
| 1980年代 | 482 | 1,676 | 0.62 | 7人 |
| 1990年代 | 508 | 1,614 | 0.63 | 7人 |
| 2000年代 | 539 | 1,530 | 0.65 | 6人 |
| 2010年代 | 528 | 1,443 | 0.61 | 7人 |
| 2020年代 | 302 | 873 | 0.64 | 6人 |
1920年代から60年代までの順位相関は0.24〜0.44で、年代によって上下していました。1970年代に0.66へ上がり、2020年代まで0.61〜0.66の幅に収まっています。2020年代は2026年までの途中の値です。
1970年代には、N響の定期公演で演奏された曲が1960年代の971曲から1,610曲に増えています。曲数が増えると割合のぶれが小さくなるので、相関が上がった理由の一部はそこにあるかもしれません。ただ、その後N響の曲数がほぼ同じ水準で続いても相関が0.6台のまま変わらなかったことは、記録から確かめられます。何が両楽団の曲目を近づけたのかは、この記録だけでは判断できません。
両楽団の柱は、ベートーヴェンとモーツァルト

出典:両楽団の公式の演奏記録をもとに筆者集計
1842年からの定期公演全体で見ると、ウィーン・フィルではベートーヴェンが11.7%、モーツァルトが8.1%、ブラームスが7.0%でした。1926年からのN響の定期公演では、ベートーヴェン8.6%、モーツァルト7.8%、ブラームス5.1%と、上位3人の顔ぶれは同じです。
N響の定期公演でベートーヴェンの割合が最も高かったのは1940年代の16.1%です。1960年代から2000年代にかけては、両楽団ともモーツァルトが1位か2位でした。ウィーン・フィルではこの5つの年代すべてで1位、N響では1990年代だけ2位で、残りは1位です。2010年代には両楽団ともモーツァルトの割合が4%前後まで下がり、その分、作曲家のばらつきが広がっています。
違いが出るのは、ワーグナーとブルックナー
上位の顔ぶれが似ていても、割合の差が大きい作曲家がいます。
| 年代 | ワーグナー(ウィーン・フィル定期) | ワーグナー(N響定期) | ブルックナー(ウィーン・フィル定期) | ブルックナー(N響定期) |
|---|---|---|---|---|
| 1940年代 | 2.8% | 6.0% | 8.8% | 0.6% |
| 1950年代 | 1.3% | 1.8% | 4.2% | 1.5% |
| 1960年代 | 1.3% | 7.0% | 6.4% | 1.2% |
| 1970年代 | 0.8% | 4.2% | 5.5% | 2.1% |
| 1980年代 | 1.2% | 6.1% | 5.0% | 2.5% |
| 1990年代 | 1.6% | 3.3% | 4.7% | 2.1% |
| 2000年代 | 3.7% | 3.0% | 4.5% | 2.0% |
| 2010年代 | 2.3% | 2.9% | 4.2% | 1.7% |
| 2020年代 | 2.0% | 1.6% | 3.3% | 1.8% |
ワーグナーは、N響の定期公演では1960年代に7.0%(3位)、1980年代に6.1%(3位)と上位にいました。ウィーン・フィルの定期公演では、1950年代以降は2000年代(8位)を除いて16位から26位にとどまります。ウィーン・フィルの楽員はウィーン国立歌劇場のオーケストラの楽員でもあり、ワーグナーの楽劇は歌劇場で演奏するため、定期公演の曲目に入りにくいのだと考えられます。
ブルックナーは反対です。ウィーン・フィルの定期公演では1940年代から2010年代まで4.2〜8.8%(3〜7位)を占める常連でしたが、N響の定期公演では最も高い1980年代でも2.5%で、順位は12位以下でした。
チャイコフスキーは、N響では全公演と定期公演で姿が変わります。全公演では1926年からの通算で6.5%を占め、ベートーヴェン、モーツァルトに次ぐ3位です。定期公演だけにすると通算3.9%(6位)で、1930年代から2010年代までの各年代は3.1〜5.0%でした。チャイコフスキーの曲は、定期公演よりも名曲を集めた公演や地方公演で多く演奏されてきたことになります。
N響の定期公演の日本人作曲家
N響の記録では、日本人の作曲家は英語表記の姓が大文字で書かれています(TOYAMA, Yuzo など)。この書き方をもとに、定期公演の曲のうち日本人作曲家の曲の割合を調べました。
| 年代 | 日本人作曲家の曲 | 定期公演の曲 | 割合 |
|---|---|---|---|
| 1930年代 | 6 | 587 | 1.0% |
| 1940年代 | 65 | 634 | 10.3% |
| 1950年代 | 24 | 790 | 3.0% |
| 1960年代 | 58 | 971 | 6.0% |
| 1970年代 | 98 | 1,610 | 6.1% |
| 1980年代 | 74 | 1,676 | 4.4% |
| 1990年代 | 34 | 1,614 | 2.1% |
| 2000年代 | 38 | 1,530 | 2.5% |
| 2010年代 | 36 | 1,443 | 2.5% |
| 2020年代 | 20 | 873 | 2.3% |
最も高かったのは1940年代の10.3%で、1960〜70年代は6%前後、1990年代以降は2%台で推移しています。日本人で英語表記の姓が大文字になっていない例があれば、その分は入っていないため、割合は少なめに出ている可能性があります。
都響を加えて3つの楽団で比べる
都響の定期公演の記録は1965年からです。1960年代は52曲しかないため、1970年代から比べました。
| 年代 | 都響定期の曲数 | N響×都響 | ウィーン・フィル×都響 | ウィーン・フィル×N響 |
|---|---|---|---|---|
| 1970年代 | 317 | 0.57 | 0.42 | 0.66 |
| 1980年代 | 500 | 0.78 | 0.55 | 0.62 |
| 1990年代 | 516 | 0.74 | 0.63 | 0.63 |
| 2000年代 | 503 | 0.66 | 0.64 | 0.65 |
| 2010年代 | 480 | 0.58 | 0.67 | 0.61 |
| 2020年代 | 283 | 0.52 | 0.51 | 0.64 |
1980年代と1990年代は、3つの組み合わせのうちN響と都響が最も近く、順位相関は0.78と0.74でした。同じ東京の楽団どうしが似た曲目を組んでいた時期です。2010年代になると、都響はN響(0.58)よりもウィーン・フィル(0.67)に近くなりました。この年代の都響の定期公演では、ブラームス、モーツァルト、ショスタコーヴィチ、マーラー、ブルックナーが上位に並んでいます。2020年代(2026年9月まで)の都響の定期公演では、ショスタコーヴィチが6.4%で1位でした。
コンセルトヘボウ管を間に置くと:曲はどの順で広がったか
ウィーン・フィルとN響のあいだに、アムステルダムのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(以下、コンセルトヘボウ管)を置いてみます。コンセルトヘボウ管は、楽団の公式の演奏記録アーカイブに、1888年10月2日から2026年6月28日までの18,823公演と、そこで演奏された曲66,883件が載っています。
主な交響曲が、それぞれの楽団で初めて演奏された年を並べました。ここは定期公演に限らず、全公演で見ています。N響の記録は1926年からなので、N響で最初の演奏が日本で最初の演奏とは限りません。初演の年と都市は、一般に知られているものを記しました。
| 曲 | 初演 | ウィーン・フィル | コンセルトヘボウ管 | N響 |
|---|---|---|---|---|
| ブルックナー 交響曲第4番 | 1881年 ウィーン | 1881年 | 1897年 | 1931年 |
| ブルックナー 交響曲第7番 | 1884年 ライプツィヒ | 1886年 | 1910年 | 1948年 |
| ブルックナー 交響曲第8番 | 1892年 ウィーン | 1892年 | 1920年 | 1970年 |
| ブルックナー 交響曲第5番 | 1894年 グラーツ | 1899年 | 1918年 | 1967年 |
| ブルックナー 交響曲第9番 | 1903年 ウィーン | 1906年 | 1908年 | 1950年 |
| マーラー 交響曲第1番 | 1889年 ブダペスト | 1900年 | 1903年 | 1928年 |
| マーラー 交響曲第2番 | 1895年 ベルリン | 1899年 | 1904年 | 1949年 |
| マーラー 交響曲第5番 | 1904年 ケルン | 1905年 | 1906年 | 1967年 |
| マーラー 交響曲第6番 | 1906年 エッセン | 1933年 | 1916年 | 1975年 |
| マーラー 交響曲第9番 | 1912年 ウィーン | 1912年 | 1918年 | 1973年 |
| シベリウス 交響曲第2番 | 1902年 ヘルシンキ | 1910年 | 1911年 | 1927年 |
| ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 | 1937年 レニングラード | 1947年 | 1947年 | 1949年 |
| ショスタコーヴィチ 交響曲第10番 | 1953年 レニングラード | 2001年 | 1963年 | 1977年 |
ブルックナーは、第9番を除くと、ウィーンからアムステルダムまでに16〜28年、そこから東京までにさらに34〜50年かかっています。第5番と第8番がN響で初めて演奏されたのは1967年と1970年で、第4番・第7番・第9番が戦前から戦後すぐに入っていたのと比べると、日本には二段階で届いたことになります。
1888年から1913年までの全公演で、両楽団の作曲家の割合を比べると、ブルックナーの扱いの違いがはっきりします。
| 作曲家 | ウィーン・フィル | コンセルトヘボウ管 |
|---|---|---|
| ベートーヴェン | 12.0% | 9.0% |
| モーツァルト | 8.3% | 3.6% |
| シューベルト | 5.7% | 1.9% |
| ワーグナー | 5.0% | 11.2% |
| ブラームス | 4.5% | 2.9% |
| ブルックナー | 2.7%(46曲) | 0.1%(27曲) |
| R.シュトラウス | 2.6% | 2.2% |
| マーラー | 1.0% | 0.4% |
| この期間の曲の数 | 1,695 | 22,501 |
この時期のブルックナーは、ウィーンでは現役の定番でしたが、アムステルダムではほとんど演奏されていません。ウィーンの作曲家として、地元から時間をかけて外へ出ていったことがわかります。
マーラーは同じ形になりません。表の第1番・第2番・第5番・第9番は、コンセルトヘボウ管がウィーン・フィルと1〜6年差で演奏しており、第6番はウィーン・フィルより17年早い1916年でした。コンセルトヘボウ管でのマーラーは、1900年代の31曲から1910年代に229曲へ増えています。首席指揮者のウィレム・メンゲルベルクがマーラーを繰り返し取り上げた時期で、マーラーにとってアムステルダムは、ウィーンと並ぶもう一つの拠点でした。
ショスタコーヴィチを見るときは、中心をウィーンではなく、初演の地のレニングラードに置く必要があります。第5番はレニングラードでの初演から、3つの楽団とも10〜12年後に届いています。間に第二次世界大戦をはさむため、そろって遅れたと考えられます。第10番になると、コンセルトヘボウ管が10年後、N響が24年後、ウィーン・フィルが48年後の2001年で、ここでも中心から外へ、時間をかけて広がっています。
ウィーン・フィルは、自分たちが中心にいる曲では最も早く、外に中心がある曲では最も遅いことがありました。10年ごとの全公演に占める割合で見ると、1950〜80年代のウィーン・フィルはショスタコーヴィチが0.1〜0.3%でしたが、ソ連と関係のないシベリウスも0.0〜0.7%と、同じくらい少なくなっています。N響は同じ時期に、ショスタコーヴィチが0.9〜1.4%、シベリウスが0.4〜2.1%でした。一方、旧オーストリア=ハンガリー帝国の圏内にいたバルトークは、ウィーン・フィルでも0.5〜0.9%と、N響の0.7〜1.2%に近い割合です。ウィーン・フィルのシベリウスは全期間で191曲あり、1935年から1945年までは7曲です。中身は交響詩《エン・サガ》が5回、《トゥオネラの白鳥》、ヴァイオリン協奏曲で、交響曲はありません。この演奏記録からは、演奏されにくさを分けているのは政治の敵味方よりも、ドイツ・オーストリアの伝統の内か外かだったように見えます。
もっとも、音楽が政治と無関係だったわけではありません。指揮者のジョン・マウチェリは『二十世紀のクラシック音楽を取り戻す』で、冷戦期のアメリカが、ボイス・オブ・アメリカやフォード財団に加え、中央情報局(CIA)が資金を出した文化自由会議を通じて前衛音楽を後押しし、ソ連の社会主義リアリズムに対抗したことを「軍隊を使わない戦争」と書いています。同じ本は、アメリカの音楽学者ティモシー・L・ジャクソンの研究として、シベリウスが第二次世界大戦中ずっとナチス・ドイツからかなりの額の年金を受け取っていたことも紹介しています。日本では戦後、勤労者音楽協議会(労音)が大きな音楽鑑賞団体として広がりました。山崎豊子の小説『仮装集団』(1967年)は、労音を下敷きにした団体と、それを動かす政党の関係を描いており、作中にはショスタコーヴィチのオラトリオ《森の歌》が登場します。N響の全公演で、ショスタコーヴィチが1940年代の0.2%から1950年代に0.9%へ増えたことには、こうした文化外交の経路も重なっていた可能性があります。ただし、この演奏記録だけでは、その効き目を、ほかの理由から切り分けることはできません。
指揮者:N響の外国人の割合は、誰が音楽監督かで動く

出典:両楽団の公式の演奏記録、国籍は Wikidata をもとに筆者集計
指揮者は定期公演に限らず、全公演で見ています。N響の記録を公演ごとにまとめると9,761公演で、指揮の延べ回数は9,896回、名前の分かる指揮者は462人でした。国籍は主に Wikidata の登録から付け、国籍が分かった指揮の延べ回数を分母にしています(分からなかったのは延べの1.0%)。
| 年代 | N響:外国人指揮者の割合 | N響:ドイツ語圏の指揮者の割合 | ウィーン・フィル:オーストリア以外の指揮者の割合 |
|---|---|---|---|
| 1950年代 | 78.1% | 59.1% | 62.3% |
| 1960年代 | 52.6% | 27.9% | 47.1% |
| 1970年代 | 49.4% | 33.7% | 63.7% |
| 1980年代 | 58.3% | 40.5% | 84.9% |
| 1990年代 | 70.1% | 37.7% | 96.1% |
| 2000年代 | 81.9% | 34.2% | 87.5% |
| 2010年代 | 76.9% | 17.5% | 88.0% |
| 2020年代 | 59.0% | 9.1% | 89.2% |
N響の外国人指揮者の割合は、1950年代に78.1%まで上がったあと、1960〜70年代は5割前後に下がり、2000年代に81.9%で最も高くなりました。年ごとでは2001年の91.6%(119回中109回)が最も高く、新型コロナウイルスの入国制限が続いた2021年は31.4%(121回中38回)まで下がり、2025年には81.0%(121回中98回)に戻っています。
この割合を大きく動かしているのは、音楽監督や常任の指揮者が誰かです。2000年代はシャルル・デュトワが142回、ウラディーミル・アシュケナージが80回振っており、2人で外国人の指揮の延べ937回の23.7%を占めます。日本人の指揮者が中心だった1960年代後半から70年代前半は外国人の割合が下がり、外国人の音楽監督が続いた時期は上がる、という形で上下してきました。
国の内訳も変わりました。ドイツ、オーストリア、スイスのドイツ語圏の指揮者は、国籍が分かった指揮のうち2000年代には34.2%でしたが、2020年代には9.1%になっています。代わりに増えたのは、ロシア・旧ソ連、米国、エストニアなどの指揮者です。
ウィーン・フィルでは、国籍にオーストリアを含まない指揮者の割合が1920年代の30.1%から1990年代の96.1%まで上がり、2000年代以降は87〜89%で推移しています。N響のように上下を繰り返すのではなく、ほぼ一方向に上がってきました。
指揮者の国と、経済の大きさ
指揮者の国籍の分布が、国の経済の大きさと関係しているかも調べました。年代ごとに、その楽団で1回以上指揮した国について、指揮の延べ回数と、その国のGDPが世界に占める割合の順位相関をとっています。GDPは世界銀行の統計を使いました。
| 年代 | ウィーン・フィル(オーストリアを除く) | N響(日本を除く) |
|---|---|---|
| 1960年代 | 0.59(p=0.074) | 0.29(p=0.53) |
| 1970年代 | 0.49(p=0.079) | 0.52(p=0.071) |
| 1980年代 | 0.54(p=0.068) | 0.30(p=0.26) |
| 1990年代 | 0.57(p=0.006) | 0.20(p=0.41) |
| 2000年代 | 0.74(p<0.001) | 0.28(p=0.18) |
| 2010年代 | 0.49(p=0.015) | 0.33(p=0.065) |
| 2020年代 | 0.55(p=0.012) | 0.20(p=0.34) |
ウィーン・フィルでは1990年代以降、経済の大きい国の指揮者ほど多く指揮しているという関係が、統計的に意味のある水準(p<0.05)で続いています。N響(日本を除く)では、どの年代でもこの水準に届きませんでした。1960〜80年代はソ連や東欧のいくつかの国のGDPが世界銀行の統計に無く、その国の指揮者が相関の計算から外れています。
日本自身の経済と、N響の外国人指揮者の割合も比べました。年ごとの値で見ると、日本の名目GDP(米ドル)とは順位相関0.54、円の対ドル相場とは−0.58で、「日本が豊かで円が強い年ほど外国人が多い」ように見えます。ところが前の年からの変化どうしで比べると、相関は−0.004と0.07で、ほとんど関係がありません。為替は FRED の系列を使いました。1970年代から2000年代にかけて、日本の所得と円高と外国人の割合がそろって上がった長い流れを見ているだけで、年ごとの景気や為替の動きに合わせて招く指揮者が変わったわけではない、と読めます。
指揮者と作曲家の結びつき:レパートリーは広がり、聴き比べの機会は減った
ここからは、指揮者と作曲家の結びつきを、ウィーン・フィル、コンセルトヘボウ管、ベルリン・フィルの3つの楽団で比べます。ウィーン・フィルとコンセルトヘボウ管は、公式の演奏記録アーカイブの全公演を使いました。ベルリン・フィルは全公演の記録が公開されていないため、デジタル・コンサートホールに映像が残る931公演を使いました。2009年以降の本拠地での定期公演はほぼ含まれますが、ツアーと室内楽の多くは含まれません。同じ曲目を何日か続けて演奏しても1件として載っている点も、ほかの2つの楽団と違います。そこでこの節では、3つの楽団とも、同じ年に同じ指揮者が同じ曲を指揮したものは1件にまとめ、指揮者のいない室内楽の会は除いて比べています。
まず、楽団全体で演奏された作曲家の数です。
| 楽団 | 時期 | 演奏された作曲家の数 |
|---|---|---|
| ウィーン・フィル | 1970年代 → 2000年代 → 2010年代 | 92人 → 173人 → 169人 |
| コンセルトヘボウ管 | 1950年代 → 2010年代 → 2020年代 | 183人 → 211人 → 224人 |
| ベルリン・フィル | 2009〜2015年 → 2021〜2026年 | 160人 → 196人 |
3つの楽団とも、演奏される作曲家は増え、特定の作曲家への偏りも小さくなっています。楽団としてのレパートリーは広がっています。
次に、ある作曲家の曲を特定の指揮者が受け持つ度合い(以下、専属度)を比べます。作曲家ごとに、どの指揮者がどれだけ偏って指揮しているかを測り、楽団全体での指揮者の偏りで割りました。そのうえで、作曲家と指揮者の組み合わせを件数はそのままで無作為に入れ替えた場合と比べ、偶然の偏りを除いています。1なら偶然と変わらず、大きいほど「この作曲家はこの指揮者」という結びつきが強いことを示します。
| 時期 | ウィーン・フィル | コンセルトヘボウ管 | ベルリン・フィル |
|---|---|---|---|
| 1950年代 | 2.18 | 1.23 | — |
| 1960年代 | 2.88 | 1.21 | — |
| 1970年代 | 2.84 | 1.48 | — |
| 1980年代 | 1.95 | 2.09 | — |
| 1990年代 | 1.50 | 1.57 | — |
| 2000年代 | 1.73 | 1.68 | — |
| 2010年代 | 1.67 | 2.07 | 1.20(2009〜2015年)/1.14(2016〜2020年) |
| 2020年代 | 2.39 | 2.19 | 1.79(2021〜2026年) |
2020年代は、3つの楽団とも専属度が上がっています。コンセルトヘボウ管は1950〜60年代の1.2前後から2.1〜2.2へと、ほぼ一貫して上がってきました。ウィーン・フィルは、ベームやカラヤンが多く指揮した1960〜70年代が最も高く、1990年代に1.50まで下がったあと、2020年代に2.39まで戻っています。ベルリン・フィルは、ラトルが首席指揮者だった時期は偶然とほとんど変わらず、ペトレンコの時期に上がりました。偶然の偏りを除く前の値では、コンセルトヘボウ管は1.40から4.78へと急に上がって見えますが、その半分ほどは、客演の指揮者が増えて1人あたりの件数が減ったことによる見かけの上昇でした。
専属度が上がると、同じ作曲家を何人の指揮者の解釈で聴けるかが変わります。主な作曲家8人(ベートーヴェン、モーツァルト、ブラームス、シューベルト、チャイコフスキー、R.シュトラウス、ブルックナー、マーラー)について、それぞれの曲を実質何人の指揮者が受け持ったか(以下、実効指揮者数)を出し、8人の中央値を比べました。期間の長さをそろえるため4年ずつに区切り、公演の少なかった2020〜2021年は除いています。
| 期間 | ウィーン・フィル | コンセルトヘボウ管 | ベルリン・フィル |
|---|---|---|---|
| 2012〜2015年 | 10.0人 | 3.9人 | 4.8人 |
| 2016〜2019年 | 8.2人 | 7.1人 | 7.8人 |
| 2022〜2025年 | 4.8人 | 5.4人 | 5.4人 |
ウィーン・フィルでは、2012〜2015年には同じ作曲家を実質10人の指揮者で聴けたのが、2022〜2025年には4.8人と半分以下になりました。ブラームスは8.7人から3.2人、シューベルトは8.4人から3.0人、ブルックナーは13.3人から3.3人、マーラーは10.0人から3.3人です。10年ごとに見ても、2010年代の13.4人が1950年代以降で最も多く、そこから急に減っています。コンセルトヘボウ管とベルリン・フィルは2016〜2019年が最も多く、その後は減っていますが、2012〜2015年よりは下がっていません。
首席指揮者を置く楽団では、首席指揮者が多くの作曲家を受け持つため、首席指揮者本人のレパートリーは広くなります。その分、同じ作曲家を聴ける指揮者の数は少なくなります。ラトルが首席指揮者だった2009〜2015年のベルリン・フィルでは、映像の残るベートーヴェンの交響曲25件のうち16件がラトルの指揮でした。首席指揮者を置かないウィーン・フィルは、2010年代には実効指揮者数が13.4人と多かったのですが、首席指揮者を置かないまま、2020年代には5.9人まで減っています。客演の指揮者がそれぞれ得意な作曲家に分かれると、首席指揮者がいなくても「この作曲家はこの指揮者」になります。楽団全体のレパートリーは広がる一方で、1人の指揮者がその楽団で指揮する作曲家の範囲は狭まり、同じ作曲家を聴き比べる機会は減っている、というのが今の姿です。
この傾向がいちばん極端に表れているのが、ハイドンです。
| 時期 | ウィーン・フィル | コンセルトヘボウ管 | ベルリン・フィル |
|---|---|---|---|
| 1950年代 | 2.6% | 3.4% | — |
| 1990年代 | 2.8% | 1.1% | — |
| 2010年代 | 2.3% | 1.6% | 1.8%(2009〜2015年) |
| 2020年代 | 2.7% | 0.7% | 1.2%(2021〜2026年) |
ウィーン・フィルは、1900年代から一貫してハイドンを全体の2〜4%(1950年代以降は2〜3%)演奏し続けています。コンセルトヘボウ管では、1950〜60年代にはベイヌムやハイティンクが多く指揮していたのが、2020年代には0.7%まで減りました。指揮者も変わっています。コンセルトヘボウ管の2010年代以降のハイドンは、ピノック、ヘンゲルブロック、ヘレヴェッヘ、エメリャンチクと、古楽の演奏で知られる指揮者が中心です。ベルリン・フィルでも、アントニーニ、ミンコフスキ、ロト、ハイドンの録音で知られるアダム・フィッシャーが指揮しています。
指揮者オットー・クレンペラーは、若い指揮者について次のように語っていました。
若い世代の困った問題は、彼らが段階をふむのを忘れていることです。『ヴォツェック』からはじめて、ハイドンの交響曲で終わることはできない。ハイドンからはじめて、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトに進み、そこではじめてより新しい、より複雑な音楽に移ることができるのです。
(ピーター・ヘイワース編『クレンペラーとの対話』佐藤章訳、白水社、p.219〜220)
クレンペラーが指揮者の修業の一段目に置いたハイドンは、コンセルトヘボウ管とベルリン・フィルでは、古楽を専門とする指揮者が来たときに演奏される曲になっています。ウィーン・フィルだけが、ほぼ同じ割合を保っています。なお、2020年代はまだ途中で、公演が少なかった時期も含むため、この先の数年で値が動く可能性があります。
まとめと限界
ウィーン・フィルとN響の定期公演の曲目は、1970年代から順位相関0.6台で似通った状態が続いています。間にコンセルトヘボウ管を置くと、ブルックナーはウィーンからアムステルダム、東京の順に数十年かけて届き、マーラーはウィーンとアムステルダムがほぼ同時、ショスタコーヴィチはレニングラードから外へ広がっていました。どちらもベートーヴェンとモーツァルトが柱で、違いはワーグナー(N響で多い)とブルックナー(ウィーン・フィルで多い)に表れます。指揮者では、ウィーン・フィルの地元以外の指揮者がほぼ一方向に増えたのに対し、N響の外国人の割合は音楽監督や常任が誰かで上下してきました。
指揮者と作曲家の結びつきを、ウィーン・フィル、コンセルトヘボウ管、ベルリン・フィルの3つの楽団で比べると、楽団全体で演奏される作曲家は増えている一方で、「この作曲家はこの指揮者」という結びつきは2020年代に強まり、同じ作曲家を何人もの指揮者で聴き比べる機会は減っています。ハイドンは、ウィーン・フィル以外では古楽を専門とする指揮者が来たときに演奏される曲になりつつあります。
数字を読むときの注意を挙げておきます。
- 曲は公演ごとの演奏を1件としており、同じプログラムの複数日もそれぞれ1件です。楽章だけの演奏も1件に入ります。
- 定期公演の範囲は公演名とシリーズ名で決めています。楽団によって定期公演の位置づけは同じではありません。
- 作曲家の名前の寄せ方は機械的な規則によるもので、寄せきれない表記が残っている可能性があります。
- 指揮者の国籍は Wikidata の登録によるもので、二重国籍の人はそれぞれの国に1回ずつ入っています。一部は手作業で補いました。
- 相関は関係の強さを示すもので、原因を示すものではありません。2020年代は途中の値です。
- 最初に演奏された年は、各楽団のアーカイブに載っている範囲での最初です。曲名の書き方の違いで拾えていない演奏があれば、実際はもっと早い可能性があります。
よくある質問
Q. N響で最も多く演奏された作曲家は誰ですか。
ベートーヴェンです。N響の演奏記録アーカイブに載っている1926年10月から2026年6月までの全公演で演奏された曲30,505曲(作曲家が特定できたもの)のうち、3,795曲(12.4%)がベートーヴェンでした。2位はモーツァルト(2,560曲・8.4%)、3位はチャイコフスキー(1,971曲・6.5%)です。
Q. N響で最も多く演奏された曲は何ですか。
ベートーヴェンの交響曲第9番で、全曲の演奏が459回ありました(楽章だけの演奏が別に10回あります)。次いでベートーヴェンの交響曲第5番が435回、ブラームスの交響曲第1番が407回、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界から」が388回です。曲名の書き方の違いで1曲にまとめきれていない分があり得るため、回数は少なくともこれだけある、という下限です。
Q. N響の指揮者のうち、外国人はどれくらいですか。
国籍が分かった指揮の延べ回数に占める外国人の割合は、10年ごとでは2000年代の81.9%が最も高くなっています。年ごとでは、新型コロナウイルスの入国制限が続いた2021年に31.4%まで下がり、2025年には81.0%でした。
Q. N響とウィーン・フィルの曲目は似ていますか。
定期公演どうしで比べると、よく演奏する作曲家40人の割合の順位相関は、1920〜60年代の0.24〜0.44から1970年代に0.66へ上がり、その後2020年代まで0.61〜0.66で安定しています。どちらもベートーヴェンとモーツァルトが中心で、違いはワーグナーとブルックナーの割合に出ます。
Q. 日本ではチャイコフスキーがよく演奏されているのですか。
N響の全公演では、チャイコフスキーはベートーヴェン、モーツァルトに次ぐ3位で、曲の6.5%を占めます。ただし定期公演だけで見ると3.9%(6位)で、1930年代から2010年代までの各年代は3.1〜5.0%でした。名曲を集めた公演や地方公演で多く演奏されてきた作曲家です。
集計表(CSV)
記事で使った集計表は、次のCSVでダウンロードできます(文字コードはUTF-8)。
- 年代別・楽団別の作曲家の割合(定期公演・全公演、上位20人)
- 年代別の似ている度合い(順位相関・上位10人の重なり)
- N響の定期公演の日本人作曲家の割合
- N響で多く演奏された曲(上位14曲)
- 指揮者の国籍の割合(N響・ウィーン・フィル)
- 指揮者の国籍とGDPの世界シェアの順位相関
- 主な交響曲が3つの楽団で初めて演奏された年
- 楽団・時期ごとの作曲家の数・専属度・指揮者の範囲(ウィーン・フィル、コンセルトヘボウ管、ベルリン・フィル)
- 主な作曲家8人の実効指揮者数(聴き比べの機会)
- ハイドンの割合と主な指揮者
出典
- ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団「Concert Archive」
- NHK交響楽団「演奏記録アーカイブ」
- NHK交響楽団「『演奏記録アーカイブ』『資料アーカイブ』を公開」
- 東京都交響楽団「アーカイブ」
- ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団「Archief」
- ジョン・マウチェリ『二十世紀のクラシック音楽を取り戻す 三度の戦争は音楽に何をしたか』松村哲哉訳、白水社、2023年
- 山崎豊子『仮装集団』文藝春秋、1967年(新潮文庫)
- 世界銀行「GDP (current US$)」
- セントルイス連邦準備銀行 FRED「Japanese Yen to U.S. Dollar Spot Exchange Rate」
- Wikidata
- ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団「Digital Concert Hall」
- ピーター・ヘイワース編『クレンペラーとの対話』佐藤章訳、白水社、1999年(新装復刊)
APPENDIX 調査の方法
曲の単位
1つの公演で演奏された1曲を1件としました。同じプログラムを複数日演奏した場合は日ごとに1件です。楽章だけの演奏、序曲だけの演奏も1件に入ります。ウィーン・フィルの記録で作曲家が「unbekannt(不明)」のもの、N響の記録で作曲家が空欄・不明のものは除きました。
作曲家の名寄せ
姓の綴りの違い(ドイツ語式・英語式・ロシア語の転写の違い)を代表の綴りに寄せ、同じ姓の家族(バッハ、シュトラウス、モーツァルト、ハイドンなど)は名で分けました。ヨハン・シュトラウス2世とリヒャルト・シュトラウスは別人として扱っています。複数の作曲家の名前が並ぶ曲は、最初の名前に入れました。都響の日本語の作曲家名は、N響の記録の日本語と英語の対訳を使って同じ作曲家に寄せ、寄らなかった99曲は割合の計算から外しています。
定期公演の範囲
ウィーン・フィル:公演名に「Subscription Concert」を含む公演と、1842〜59年の「Philharmonic Concert」。N響:「第◯回 定期公演」「◯年◯月定期公演」「日響定期大演奏会」(プロムナードを除く)。都響:シリーズ名が「定期」で始まり、中止になっていない公演。
似ている度合い
年代ごとに、2つの楽団それぞれの作曲家の割合を足し合わせて上位40人を選び、その40人について2つの楽団の割合のスピアマンの順位相関をとりました。どちらかの楽団の曲が200曲に満たない年代(3楽団の比較では都響が100曲に満たない年代)は除いています。上位40人を「割合の和」ではなく「曲数の和」で選ぶと、曲数の多いN響に寄った選び方になり、ウィーン・フィルとN響の値は年代によって−0.02〜+0.08変わります(1970年代以降は0.64〜0.67で、0.6台で安定していることは変わりません)。
指揮者の国籍
N響は、指揮者の欄を公演ごとにまとめ、名前の表記の違いを寄せてから、Wikidata の国籍の登録を付けました。漢字・かなで書かれた名前は日本の指揮者とし、外国式の表記の日系の指揮者は外国人としています。Wikidata で確かめられなかった5人(延べ22回)は公開情報から国籍を補いました。ウィーン・フィルも同じ方法で Wikidata の国籍を付けています。N響では、国籍に日本を含む指揮者を日本人、含まない指揮者を外国人としました。ウィーン・フィルでは、国籍にオーストリアを含まない指揮者を「オーストリア以外」としています。N響のドイツ語圏の割合は、外国人のうちドイツ・オーストリア・スイスの国籍を持つ指揮者の延べ回数(複数の国籍を持つ人は国籍の数で按分)を、国籍が分かった指揮の延べ回数(日本人を含む)で割ったものです。
GDPと為替
国ごとのGDPの世界シェアは世界銀行の名目GDP(米ドル)から計算しました。日本の名目GDP・1人当たりGDPは世界銀行、円の対ドル相場と対マルク相場(1999年以降はユーロを1.95583で換算)は FRED の系列です。年ごとの相関は、水準どうしと、前の年からの変化どうしの両方で計算しました。
指揮者と作曲家の結びつきの測り方
同じ年に同じ指揮者が同じ曲を指揮したものは1件にまとめ、指揮者のいない室内楽の会は除きました。専属度は、作曲家ごとの指揮者の偏り(各指揮者の受け持ちの割合を2乗して足したハーフィンダール指数。1人が全部指揮すれば1)を件数で加重平均し、楽団全体の指揮者の偏りで割ったものです。対象はその時期に15件以上(ベルリン・フィルは12件以上)演奏された作曲家です。件数が少ないと偶然でも偏りが大きく出るため、件数はそのままで作曲家と指揮者の組み合わせを300回無作為に入れ替えた場合の平均で割り、記事ではその値を示しました。1人の指揮者がその楽団で指揮する作曲家の範囲は、その時期に10件以上(ベルリン・フィルは8件以上)指揮した指揮者について、作曲家の偏りを同じ件数の無作為抽出と比べました。実効指揮者数は、作曲家ごとの指揮者の偏りの逆数(10人が同じ回数ずつ指揮すれば10)です。ベルリン・フィルのデジタル・コンサートホールは、同じ曲目を何日か続けて演奏しても1件として載っているため、件数そのものはほかの2つの楽団と比べられません。比較には割合と、偶然と比べた値だけを使いました。2020年代は2026年までの途中の値で、公演の少なかった時期を含みます。
本稿は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、NHK交響楽団、東京都交響楽団がそれぞれ公開している演奏記録を、筆者が集計・分析したものであり、各楽団・指揮者・演奏の評価ではありません。
作曲家の名前の寄せ方や定期公演の範囲は機械的な規則によるもので、各楽団の公式の統計とは一致しない場合があります。指揮者の国籍は Wikidata の登録に基づいています。
読み取りや名寄せの誤りが含まれている可能性があります。お気づきの点がありましたら、お問い合わせよりご連絡ください。速やかに確認のうえ対応いたします。



