ウィーン・フィルの師弟の系図 ヴァイオリンとホルン
ウィーン・フィルの音は、師から弟子へ受け継がれてきたと語られます。楽員名簿と略歴から、ヴァイオリンとホルンの師弟の線を引きました。ヴァイオリンでは、1942年の楽団史が付けた「非アーリア人」の印と、その系図に描かれなかった幹が、今のコンサートマスターにつながります。ホルンでは、今の楽員10人のうち9人が一人の先生の門下にたどり着き、その門下には、ナチ党の細胞を作った奏者と、「混血」として特別許可でしか残れなかった首席がいました。
この記事の確認度:◎×35 ○×25 △×3 印の意味
ウィーン・フィルの音は、師から弟子へ受け継がれてきた、とよく言われます。では、実際に師弟の線を引くと、どういう形になるのでしょうか。
この頁では、ヴァイオリンとホルンの二つの楽器について、楽員名簿と奏者の略歴から師弟の線を引きました。主な材料は、楽団の元楽団長クレメンス・ヘルスベルクの楽団史『Demokratie der Könige』(1992年)の巻末にある楽員名簿です。この名簿には、楽員一人ずつに「L:」(師)の欄があります。
先に、引いてみて分かったことを書きます。
- 一人の奏者に、師匠は二人か三人いるのが普通です。なので線は、一本の木ではなく網の形になります。
- ホルンは楽員が10人ほどで、ウィンナ・ホルンを教えられる先生もウィーンにほぼ限られます。線が少数の先生に集まるのは、驚くことではありません。
- 面白いのは、その少数の先生が、ナチ時代に誰だったかです。
- 二つの楽器で、見えてくる問いが違います。ヴァイオリンでは、誰が系図に描かれ、誰が印を付けられ、誰の線が描かれなかったか。ホルンでは、同じ門下にいた人が、ナチ時代にどこに立っていたか。
- この頁が示すのは、人のつながりまでです。弓の使い方やヴィブラート、音色の好みといった奏法が、この線で受け継がれたかどうかは、別の証拠が要ります(ヴィブラートについては第2章で見ました)。
確認度の印は、◎=原典の本文や画像で照合済み、○=調べたメモや略歴の記述(原文は未照合)、△=未確認、を表します。◎は「原典にそう書いてある」ことを確かめた印で、書いてあることが史実として正しいことまでは保証しません。とくにナチ時代の文書は、当時の分類そのものを記録した資料として読んでください。
ヴァイオリン:1942年の系図と、描かれなかった幹
図を押すと原寸で開きます。
1942年、楽団の創立100年を記念して、楽団長ヴィルヘルム・イェルガーの『ウィーン・フィルハーモニー 遺産と使命』が出ました。その付録に「ウィーン・フィルのヴァイオリン楽派の系図」が載っています。根はウィーン音楽院の最初のヴァイオリン教授、ヨーゼフ・ベーム(1795〜1876)です◎。
系図の名前のいくつかには「*」が付いています。脚注によると、*は「非アーリア人」の印です◎。画像で*を確かめた名前は、グリュン、E.ジンガー、ヨアヒム、ロゼー、ヴィンクラー、シュレーカー、フレッシュ、レブナー、ストヴェルトカ、クライスラーです◎。
一方で、印の付かなかった人もいます。レオポルト・アウアーとアルトゥール・ボダンツキーは、ナチ時代の『音楽におけるユダヤ人事典』(1940年)に項目があるのに、系図では印がありません○。意図して外したのか、編集が不揃いだったのか、印を付ける基準が違ったのかは、この資料からは決められません。
印の付いた一人、ユリウス・ストヴェルトカは、1936年に楽団を退いたあと、1942年8月にテレージエンシュタットへ送られ、同じ年の12月17日にそこで亡くなりました○。
線は今のコンサートマスターまで続くか
- キュッヒルとヒンク:二人とも、フランツ・サモヒルの弟子です(ヘルスベルク p.624)◎。サモヒルの師は、ストヴェルトカとロゼーです(同 p.649)◎。つまり、グリュン → ストヴェルトカ → サモヒル → キュッヒルと、印の付いた名前を二つ通って、戦後のコンサートマスターに届きます。
- 今のコンサートマスター、ライナー・ホーネック:師はエーディト・ベルトシンガーとアルフレート・シュタールです(ヘルスベルク p.624、ザルツブルク音楽祭の略歴)◎。そして二人とも、エルンスト・モラヴェツの弟子です○。モラヴェツはウィーン音楽院で、チェコのオタカル・シェフチークに学びました○。この幹は、1942年の系図には描かれていません。
ヴァイオリンの系図と印の意味は、動画「家系図に付けられた「印」の意味 ウィーン・フィルのヴァイオリンの師弟」でも扱いました。
ホルン:一人の先生の門下と、二人の奏者
図を押すと原寸で開きます。1992年の楽員を含めた網の全体は、横長の図で見られます。
幹はシュティーグラー
ホルンの線は、ヨーゼフ・シャントル(1842〜1902)からカール・シュティーグラー(1876〜1932)へ続きます○。シュティーグラーは1917年から1932年まで、音楽アカデミーの教授でした○。
シュティーグラーの弟子には、甥のゴットフリート・フォン・フライベルク、ハンス・ベルガー、レオポルト・カインツ、ヨーゼフ・ヴェレバがいます◎。フライベルクは1932年、楽団と音楽アカデミーの両方で、シュティーグラーの後を継ぎました○。
ヘルスベルクの1992年の名簿では、ホルン奏者の師の欄に、この門下の名前が繰り返し出てきます◎。
- フライベルクの弟子:ロラント・ベルガー、トンベック(父)、アルトマン、フィッシャー、ホルヴァート、ヴェレバ
- カインツの弟子:ヘークナー、ヴィリバルト・ヤネツィック、ホルヴァート
- ヴェレバの弟子:ゼルナー、ファイファー、ホルヴァート
今の楽員まで
ウィーン・フィル公式サイトに2026年10月の時点で載っているホルン奏者は、10人です。そのうち9人の線は、どの師をたどっても、シュティーグラーの門下に行き着きます。残る一人、ヤン・ヤンコヴィッチは、線が途切れているのではなく、師を確かめられなかった、という意味です。
主な線は、次のとおりです。
- ロラント・ベルガー(フライベルクの弟子、父はハンス・ベルガー)の門下:シュトランスキー、イェプストル、ヴラダー、ロナルト・ヤネツィック、ライフ、マイヤー○
- フリードリヒ・ガーブラー(フライベルクの弟子、音楽院での後任)の門下:ロナルト・ヤネツィック、リントナー、ヴラダー○
- ヴィリバルト・ヤネツィック(カインツの弟子)の門下:息子のロナルト・ヤネツィック、リントナー○
- トーマス・イェプストル(ベルガーの弟子、2006年から教授)の門下:ライフ、スタンコフスキ=ウルシアングー○
外から加わった枝もあります。シュトランスキーはケルンでペンツェルに、フーバーはリンツでハイツィンガーにも学んでいます○。
フライベルクとカインツ
シュティーグラーの門下にいた二人のホルン奏者は、ナチ時代に正反対の場所にいました。
レオポルト・カインツ(1902〜1984)は、1931年にナチ党に入り、ベース奏者のイェルガーと一緒に、国立歌劇場の中に党の細胞(経営細胞)を作りました◎。1938年からは国立歌劇場管弦楽団の代表、1939年からはウィーン・フィルの経営責任者、1944年からは副楽団長です◎。一方で、1938年にダッハウへ送られた楽員ヨーゼフ・ゲリンガーの釈放のために、イェルガーと一緒に働きかけたとも書かれています(ヘルスベルク p.464)◎。戦後も1952年から楽団の役員に戻り、1957年に名誉指輪を受けました◎。
ゴットフリート・フォン・フライベルク(1908〜1962)は、首席ホルン奏者です。オーストリアは1919年に貴族の称号を廃止したため、特別許可の名簿など当時の公文書では「Gottfried Freiberg」と書かれています。楽団史(ヘルスベルク)や弟子のピツカは「フォン」を付けて呼んでいます。ナチの人種の物差しで危うい楽員として、フルトヴェングラーが特別許可を求めた名簿に入っていました◎。戦争中は、この特別許可があったから楽団に残れた、と楽団史は書いています(ヘルスベルク p.513 前後)◎。党の地区の記録は、フライベルクを「政治的に信用できない」「運動に関心がない」と評しています◎。弟子のハンス・ピツカのサイトによると、フライベルクは祖父がプラハ出身のユダヤ教徒(のちにプロテスタントに改宗)だったため、「第2級混血」に分類されていました◎。ただし、このことを書いているのはピツカのサイトだけで、書類の画像は見られませんでした。
フライベルクは1943年、リヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲第2番を初演しています◎。戦後の1946年11月には楽団長に選ばれましたが、翌年の夏に辞めました◎。
二人を、善と悪の対として並べるつもりはありません。カインツは党の細胞を作った人であり、同時に、捕らえられた楽員を助けようと動いた人でもあります。フライベルクも、戦後の調べでは、イェルガーが楽団の長になったいきさつについて、イェルガーに有利な証言をしています◎。党との関わり、人を助けた働きかけ、本人の考え、楽団の中での力は、一つずつ別に見る必要があります。また、フライベルクが特別許可で楽団に残れたことと、その教えが今に残ったことは、別の話です。
今の楽員ロナルト・ヤネツィックの師は、ガーブラー、ロラント・ベルガー、父のヴィリバルト・ヤネツィックです◎。師をさかのぼると、フライベルクとカインツの両方にたどり着きます。
確かめきれていないこと
- フライベルクが「第2級混血」とされた件は、弟子ピツカのサイトだけが根拠です。特別許可の名簿(マイヤーホーファー)には、区分が書かれていません。
- ヴィリバルト・ヤネツィックの師は、ヘルスベルクの名簿とピツカのサイトで食い違います。カインツの名前は、どちらにも出てきます。
- マイヤーの師、ヤンコヴィッチの師、トンベック(子)の生年。
- ヴァイオリンでは、モラヴェツがシェフチークに学んだことの一次資料と、ホーネックが学んだ年。
資料:ホルン奏者と師匠
本文を読むだけなら、この表は飛ばして構いません。
| 奏者 | 生年 | 師匠 | 出典 |
|---|---|---|---|
| ヨーゼフ・シャントル | 1842 | 父フローリアン(ほぼ独学とも) | de.wikipedia、ピツカ○ |
| カール・シュティーグラー | 1876 | シャントル | de.wikipedia、ピツカ○ |
| G.フォン・フライベルク | 1908 | シュティーグラー(叔父) | ピツカ○ |
| ハンス・ベルガー | 1907 | シュティーグラー | ヘルスベルク p.645◎ |
| レオポルト・カインツ | 1902 | シュティーグラー | ピツカ◎ |
| ヨーゼフ・ヴェレバ | 1914 | シュティーグラー、フライベルク | ヘルスベルク p.650◎ |
| ヨハン・フィッシャー | 1928 | ウムラウフ、プリンツ、フライベルク | ヘルスベルク p.640◎ |
| ヴォルフガング・トンベック(父) | 1932 | フライベルク | ヘルスベルク p.640◎ |
| ヴォルフガング・トンベック(子) | — | ヴェレバ | ピツカ○ |
| ロラント・ベルガー | 1937 | フライベルク(父ハンスにも) | ヘルスベルク p.640◎ |
| フリードリヒ・ガーブラー | — | フライベルク | ピツカ○ |
| ギュンター・ヘークナー | 1943 | コッホ、カインツ | ヘルスベルク p.639◎ |
| フォルカー・アルトマン | 1943 | フライベルク | ヘルスベルク p.640◎ |
| ヴィリバルト・ヤネツィック | 1945 | カインツ、ガーブラー(ピツカはカインツとヴェレバ) | ヘルスベルク p.640◎ |
| ローラント・ホルヴァート | 1945 | フライベルク、カインツ、ヴェレバ | ヘルスベルク p.640◎ |
| フランツ・ゼルナー | 1945 | ピツカ(リンツ)、ヴェレバ | ヘルスベルク p.640◎ |
| フリードリヒ・ファイファー | 1958 | ヴェレバ | ヘルスベルク p.640◎ |
| ロナルト・ヤネツィック(今) | 1968 | ガーブラー、R.ベルガー、W.ヤネツィック | ヘルスベルク p.639◎ |
| トーマス・イェプストル(今) | — | ゲーニッツァー、R.ベルガー | de.wikipedia、ピツカ○ |
| ヴォルフガング・リントナー(今) | — | ガーブラー、W.ヤネツィック | philblech.at○ |
| ヴォルフガング・ヴラダー(今) | — | ヴェレバ、ガーブラー、R.ベルガー | awvk.at○ |
| ラース・ミヒャエル・シュトランスキー(今) | — | アイネッケ、ペンツェル(ケルン)、R.ベルガー | philblech.at、ピツカ○ |
| ヨーゼフ・ライフ(今) | — | ライトバウアー、R.ベルガー、イェプストル | ザルツブルク音楽祭○ |
| マヌエル・フーバー(今) | — | ハイツィンガー(リンツ)、アルトマン | wienerhornensemble.com○ |
| ガスパール・スタンコフスキ=ウルシアングー(今) | — | イェプストル | mdw○ |
| セバスティアン・マイヤー(今) | — | R.ベルガー | de.wikipedia の弟子一覧のみ△ |
| ヤン・ヤンコヴィッチ(今) | 1984 | 不明 | —△ |
出典
- クレメンス・ヘルスベルク『Demokratie der Könige. Die Geschichte der Wiener Philharmoniker』1992年(楽員名簿 p.624〜650、本文 p.462〜465、p.513 前後)。名簿の写真も図に使用しました。
- ヴィルヘルム・イェルガー『Die Wiener Philharmoniker. Erbe und Sendung』1942年(付録の系図)
- フリッツ・トゥリュンピ『The Political Orchestra: The Vienna and Berlin Philharmonics during the Third Reich』(英訳)。図1(1938年、ウィーン・フィル歴史資料館)を図に使用しました。
- ベルナデッテ・マイヤーホーファーほか、ウィーン・フィルの委託研究「ナチズム」の論文群(楽団公式サイト掲載) リンク
- ハンス・ピツカのサイト pizka.de(ウェブ・アーカイブの写し。写真も図に使用しました) リンク
- ウィーン・フィル公式サイトの楽員紹介(2026年10月取得。写真も図に使用しました) リンク
- ザルツブルク音楽祭の奏者略歴、philblech.at、awvk.at、wienerhornensemble.com、mdw(ウィーン国立音大)の学生紹介、ドイツ語版ウィキペディア(各奏者の略歴)
- Czech Holocaust Database(ストヴェルトカ) リンク





