シネ・イーラ ── 「怒りも贔屓もなく」(タキトゥス『年代記』1巻1節)

トップ › 音楽

音楽歴史  2,377字

「ウィーンの響き」は本当にあるのか(序)楽器を替えても、「ウィーンの音」は残るのか

1920年前後、若いフルトヴェングラーはウィーン・フィルの弦楽器を借りて自分の楽団に弾かせ、響きはかえって鈍くなりました。この逸話を手がかりに、「ウィーンの音」とは何なのかを、手元の資料で確かめていく連載の序です。仮説は一つ、「器は残り、中身は動く」。

この記事の確認度:印の意味

連載 「ウィーンの響き」は本当にあるのか

  1. 序 楽器を替えても、「ウィーンの音」は残るのか(この記事)
  2. 第1章 何が「ウィーンの音」と呼ばれてきたのか
  3. 第2章 何が変わり、何が残ったのか
  4. 第3章 誰がその音を作り、変えてきたのか
  5. 第4章 何が伝統を支え、何が伝統を選び直したのか
  6. 第5章 「ウィーン・フィル」の名前は、どう価値になったのか
  7. 第6章 自治と伝統は、誰を守り、誰を排除したのか
  8. 結 それでも、なぜ私たちは「ウィーンの音」に憧れるのか
  9. 検証 仮説を立て、データで確かめる
  10. 付録 追われた楽員と、反ユダヤ・排斥の年表

1920年前後のウィーンで、若い指揮者が一つの実験をしました。

指揮者の名はヴィルヘルム・フルトヴェングラー。のちにベルリン・フィルとウィーン・フィルの両方を率いることになる人ですが、このころはまだ三十代で、1919年から1924年まで、ウィーンのトーンキュンストラー管弦楽団(いまのウィーン交響楽団の前身の一つ)の指揮者を務めていました。

彼はよく、ワインガルトナーが振るウィーン・フィルの定期演奏会に通っていました。そして、弦の音に心をつかまれます。のちに彼はこう振り返っています。

私の心をとらえたのは、とりわけ弦の、独特の、輝いて漂うような響きだった。通の人たちは私に、それはおもにフィルハーモニカーが弾いている良い楽器のおかげだ、と請け合った。

当時のウィーン・フィルの弦楽器は、ウィーンの楽器職人ガブリエル・レンベックの工房のものでした。演奏会のちらしにも「弦楽器:レンベック」と刷られていたほどです。

そこでフルトヴェングラーは、ウィーン・フィルの弦楽器を一式(弦五部を一挺ずつ)借り受け、自分の楽団の奏者に弾かせました。これで自分の楽団も、名高いフィルハーモニカーと同じ美しい響きになるだろう、と期待したのです。

結果は、期待とは逆でした。

私の楽団の響きは少しもフィルハーモニー的にはならず、結局は、かえって鈍く、輝きを失っただけだった。

フルトヴェングラーはこう結論しています。

音楽をつくるのは、楽器ではない。ただ響きだけが問題のところでさえ、そうなのだ。流派でも、技量でもない。芸術の成果の背後で本当にはたらいているのは、人間であり、その人の生きる感覚なのだ。

(出典:ヘルスベルク『王たちの民主制』1992年、第11章。同じ実験は、楽員だったオットー・シュトラッサーの回想録『栄光のウィーン・フィル』にも記されています)

この逸話は、ウィーン・フィルの「ウィーンの音」を語るとき、よく引かれます。けれども、これは厳密な実験ではありません。楽器の状態も、奏者も、ホールも、聴き比べの方法も、何ひとつ揃えられていないからです。この話から言えるのは、せいぜい「楽器だけでは説明できない何かがあるらしい」というところまでです。

では、その「何か」とは何でしょうか。

楽器でないとしたら、弾き方なのか。師から弟子へと受け継がれてきた伝統なのか。それとも、ウィーン・フィルの名前を知って聴く、私たちの側のイメージなのか。

この連載は、その問いを、手元にある資料で一つずつ確かめていく試みです。

使う資料は、ウィーン・フィルの公式史(1942年、1952年、1967年、1992年の四つの世代)、楽団自身が公開しているナチ時代についての研究、楽員やコンサートマスターの回想、指揮者の自伝や伝記、レコード会社の関係者の記録、英米独の音楽雑誌の批評、そして楽団が公開している1842年以来の演奏会の記録です。これらの資料から「ウィーン・フィル」について述べた意見や感想を五百件あまり拾い出し、主な主張には、ほかの資料から反論を当ててふるいにかけました。

あらかじめ、仮説を一つだけ掲げておきます。

器は残り、中身は動く。

ウィーン・フィルという楽団、その名前、楽員どうしが「こう鳴るべきだ」と共有する感覚は、二百年近く続いてきた。けれども、その中で鳴っている音そのもの、つまり弾き方や響きや得意な曲は、時代とともに入れ替わってきたのではないか。

これは結論ではありません。この連載の最後まで、確かめるべき仮説として置いておきます。

参考文献

このページで引いた主な文献と資料です。リンクは、本文を読める場所(貸出を含む)か、書誌の情報のページです。

  • クレメンス・ヘルスベルク『Demokratie der Könige. Die Geschichte der Wiener Philharmoniker』(王たちの民主制。楽団の公式史)Schweizer Verlagshaus、1992年
  • オットー・シュトラッサー『栄光のウィーン・フィル 前楽団長が語る半世紀の歴史』ユリア・セヴェラン訳、音楽之友社、1977年(原著 Und dafür wird man noch bezahlt, 1974年) リンク
  • ウィーン・フィル公式サイトの演奏会アーカイブ(1842年〜。2026年10月取得) リンク

次の記事:第1章 何が「ウィーンの音」と呼ばれてきたのか →

連載 「ウィーンの響き」は本当にあるのか

  1. 序 楽器を替えても、「ウィーンの音」は残るのか(この記事)
  2. 第1章 何が「ウィーンの音」と呼ばれてきたのか
  3. 第2章 何が変わり、何が残ったのか
  4. 第3章 誰がその音を作り、変えてきたのか
  5. 第4章 何が伝統を支え、何が伝統を選び直したのか
  6. 第5章 「ウィーン・フィル」の名前は、どう価値になったのか
  7. 第6章 自治と伝統は、誰を守り、誰を排除したのか
  8. 結 それでも、なぜ私たちは「ウィーンの音」に憧れるのか
  9. 検証 仮説を立て、データで確かめる
  10. 付録 追われた楽員と、反ユダヤ・排斥の年表

見出しの写真:楽友協会 大ホール(Wien - Musikverein, großer Saal、撮影 C.Stadler/Bwag、CC BY-SA 4.0)を切り抜き、文字を入れて使用。加工した画像も CC BY-SA 4.0 です。