シネ・イーラ ── 「怒りも贔屓もなく」(タキトゥス『年代記』1巻1節)

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ウィーンの音 11 本

音楽歴史

ウィーン・フィルの師弟の系図 ヴァイオリンとホルン

ウィーン・フィルの音は、師から弟子へ受け継がれてきたと語られます。楽員名簿と略歴から、ヴァイオリンとホルンの師弟の線を引きました。ヴァイオリンでは、1942年の楽団史が付けた「非アーリア人」の印と、その系図に描かれなかった幹が、今のコンサートマスターにつながります。ホルンでは、今の楽員10人のうち9人が一人の先生の門下にたどり着き、その門下には、ナチ党の細胞を作った奏者と、「混血」として特別許可でしか残れなかった首席がいました。

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「ウィーンの響き」は本当にあるのか(序)楽器を替えても、「ウィーンの音」は残るのか

1920年前後、若いフルトヴェングラーはウィーン・フィルの弦楽器を借りて自分の楽団に弾かせ、響きはかえって鈍くなりました。この逸話を手がかりに、「ウィーンの音」とは何なのかを、手元の資料で確かめていく連載の序です。仮説は一つ、「器は残り、中身は動く」。

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「ウィーンの響き」は本当にあるのか(第1章)何が「ウィーンの音」と呼ばれてきたのか

1942年の記念誌、指揮者、プロデューサー、作家、そして近年のコンサートマスター4人の言葉を並べると、「ウィーンの音」は一つの主張ではありませんでした。音のまとまり、人と伝承、楽器、演奏の場、美しく弾くことへの価値判断。語り方の違いを整理します。

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「ウィーンの響き」は本当にあるのか(第4章)何が伝統を支え、何が伝統を選び直したのか

指揮者と曲目を自分たちで決める権利は、何を伝統に入れ、何を外したのか。1842年の取り決め、第九の扱い、新作の試演、1942年の「古典の守り手」という言葉、そして楽団が当時距離を置いたブルックナー、マーラー、シュトラウスのその後。存命作曲家の割合を1842年から数え直しました。

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「ウィーンの響き」は本当にあるのか(第5章)「ウィーン・フィル」の名前は、どう価値になったのか

評判は旅公演より先に地元の客席で生まれていました。1848年の「世界最高の楽団」、空き待ち600人、1920年代の換金、ニューイヤー・コンサートの起点をめぐる公式史と研究者の対立、放送の契約に書かれた「ウィーンの響き」、そして金貨と名器の取り決め。

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「ウィーンの響き」は本当にあるのか(検証)仮説を立て、データで確かめる

連載の各章から立てた26の仮説を、演奏記録、楽員の名簿、歴代首席の台帳、英米の音楽誌の全文で確かめました。指揮台の入れ替わり、存命の作曲家の「在庫」、音楽事務所、コンサートマスターの門、楽員の国際化の段階、排除の理屈と公演の実績。支持されたものも、崩れたものも並べます。